「夕陽のあと」の映画情報
あらすじ
1年前に島にやって来た茜は、食堂で働きながら地域の子どもたちの成長を見守り続けていた。一方、島の名産物・ブリの養殖業を夫とともに営む五月は、赤ん坊の頃から育ててきた7歳の里子・豊和との特別養子縁組申請を控え、本当の母親になる喜びに胸を膨らませていた。そんな中、児童相談所の職員の情報により、産みの母親は島の食堂で働く茜であることに気づく。茜は7年の歳月を経て、再び息子を取り戻すべく島にやって来たのだった…。
予告
映画データ
監督 | 越川道夫 |
原案 | 舩橋淳 |
キャスト | 貫地谷しほり 山田真歩 松原豊和 永井大 |
受賞歴 | - |
「夕陽のあと」感想レビュー
試写会で鑑賞
試写会に当選し観に行ってきました。会場は100名ほどの小劇場といったところです。座席は広めのふんわり仕様。人数も絞られており、おそらく全員が映画好きでしょうから、マナーも含めて良好で、映画をじっくり鑑賞するには、もってこいの環境でした。
両隣が女性の方でしたが、途中からボロ泣きでした。恐らくこの映画は、女性さらには母親である方が特にお勧めではないかなと思います。
物語について
テーマは二人の母。非常に重く見ていても窮屈さで胸がいっぱいになってしまいます。生みの親と育ての親が親権をかけて、一人の子供の豊和をめぐる正解が無い争いへと発展します。
生みの親は茜。DVにより身も心もボロボロになり豊和を手放さざる終えなかった。我が子を見捨ててしまった罪の意識に苦しみ、もう一度母に戻るために、苦しみ社会復帰を目指し必死に更生してきた。彼女が誇れる唯一の主張は、豊和を自分のお腹で育て痛めて産んだという事実です。(傷が残っていると話していたので帝王切開なんでしょう)
育ての親は里子。不妊治療をしたが子供が出来ず、里親となり赤ん坊のころから我が子同然で豊和を育て、苦楽を一緒に過ごしてきた。本当な母になるため、特別養子縁組申請を控え、希望に満ちあふれた瞬間からの、突然実の母が登場し引き離されようとする絶望的な状況です。
劇中では、豊和はとても純粋でやさしくすごく良い子に描かれています。だからこそ、二人の母親の譲ることができない戦いが、辛く悲しくのしかかってきました。
ふたりの母ひとりの子…それがこの映画の悲しき物語なのです。
感想
重い、ただ重いテーマの映画でした。
二人の母親の悲しき争いは、お互いに全く譲らず(譲れないが表現として正解かも)泥沼化状態で、解決策が無いように思え観ていて本当に辛くなりました。どちらが正しいかの回答なんて無いのですよね。どちらにも言い分はあります。それは分かるのです。でもね、途中で余りにも二人の母親の主張が強すぎて、子供の気持ちが全く置き去りにされてないか!?と観ていて少し腹が立ってしまう事もありました。
単純に考えてみると、生みの親といっても一度見捨ててしまったのですから、いまさら出てきて母親になろうということ自体、自分勝手で都合が良すぎるとしか思えないですよね。愛情たっぷり育ててきた、育ての親からすると身勝手と思うことはしょうがないことなんです。
でもなぜでしょうか。この映画では茜の事を決して身勝手で悪者と思うことができないのです。それは茜の健気さと真剣に我が子の事を思う純粋な行動に表れています。あぁ、この人も被害者なんだなと。もちろん、演じてる貫地谷しほりの素晴らしい演技力のおかげでもりました。迫真の演技は見事でした。
それが故に、鑑賞していても正解にたどり着けないのです。どちらかに肩を持たせてくれた方がよっぽど楽か…。結局、どちらにも肩を持つこともできず、正解も出ないまま、一緒に苦しんで鑑賞せざるおえず、何とも言えない苦しい時間が過ぎていきます。
正直、途中まで悲しい結末にしかならないのではと諦めすら感じ始めました。どんな残酷な結末になるのかと。ただ、二人を溶かしたのも、また子供である豊和なんですよね。豊和の純粋さには、本当に心が洗われる思いでした。
でも、ラストの結末は、本当に両者共に納得した結果なのかな!?っと少し疑問には思えました。かなりの妥協が入った気もして、後々後悔の念に駆られないかなぁっと。もちろん、誰もが悪者にならない唯一の優しい結末であったとは思いましたが。
総じて、非常に考えさせられた映画でした。怖い映画ばかりでなく(笑)、たまにはこういう真面目な作品も観て感情を揺さぶられるのもいいなぁっと思った次第です。
タイトルにもあるように、非常に綺麗な夕陽のシーンがこの映画の見どころにもなっているので必見でしたね~。